「ママは頑張ってる!謝らないで」息子の言葉が支えたキャリアアップ

坂 智子さん

●本田技研工業株式会社 鈴鹿製作所(鈴鹿市)
 マネージャー(課長職)

2025年11月取材

溶接部門で働く約300人を束ねる、本田技研工業(株)鈴鹿製作所初の女性マネージャー(課長職)、坂智子さん。10代の頃は、溶接の生産現場に配属された初の女性社員でした。

妊娠による現場離脱、交替勤務ができない葛藤。そして選んだ管理職への道。

「やってみたらできた。新しい仕事につくたび“今が一番楽しい!”と感じる」と語る、何事にもポジティブな坂さんにキャリアについて伺いました。

1. 音大を諦め工場へ。「自分の決断は正解だった!」

入社翌年に法改正!事務職からまさかの溶接現場へ

高校まで吹奏楽に熱中し、一時は音大進学を夢見たものの、学費を考えて諦めた坂さん。高校の推薦で本田技研工業(株)鈴鹿製作所へ入社しました。

入社は1998年。改正男女雇用機会均等法が施行される1年前のことです。

「入社当時、女性は全員事務職へ配属される時代でした。ところが法改正で男女平等になり、私も現場職へ移ることになりました」

溶接の生産現場に女性が入るのは、同部門初のことでした。

改善を見つけて発表するのが性に合った

溶接の生産現場での勤務は、結婚して出産するまでの約6年間。

精度UPのための改善点を見つけるのが大好きだった坂さん。社内の改善発表会で表彰されたことも。どんどん自信に繋がりました。

現場は翌年から女性社員が増え、坂さんは後輩育成にも携わりました。

2. 工場内を妊婦が歩く。様々な葛藤

気づかう現場。仕事が手から離れていく

結婚後、2004年に第一子を妊娠。溶接部門の現場社員が妊娠するのは、職場で初めてのことでした。

上司は坂さんの体調を最優先に考え、業務を調整してくれました。ただ、仕事が手から離れていくことに、坂さんは複雑な思いを抱いていました。

「妊娠は嬉しかったけど、“出産したら夜勤できないだろうな”、“もう生産現場で働けないのかな”と泣きながら帰ったことを覚えています」

事務職で再出発。息子のひと言が大きな支えに

第1子出産後は、事務所勤務となった坂さん。当時の会社は、まだ半休や時間休の制度が未整備でした。

「定時まであと1時間という16時に保育園からお迎えの電話。1日有給を使って帰らせてもらいました」

仕事はきちんとやりたいと、休憩時間を削って仕事を終わらせることも。忙しい日々の中で、仕事も家事育児も中途半端に。申し訳なさですっかり自信をなくしていた時、我が子のひと言に救われました。

「当時3歳の息子に『ママは頑張っているんだから、僕たちにあやまらなくていい』って言われたことを今でも覚えています。あのひと言がなかったら心が折れていたかも。

子どもは自分のことをちゃんと見てくれている、そう思えたことで仕事を続けられたと思います」

(支えになった息子さんも、今では同じ会社で働く仲間になっています)

3. 育児をしながら管理職への舵切り

早退が多くても仕事を見てくれる人はいた

第2子を出産後、10か月の育休を経て、産休前と同じ事務職に復職しました。0歳児と3歳児を抱えてのスタートです。

やがて上司から、他部門との連携が必要な大きな仕事をやらないかと声をかけられました。上司のアドバイスを受けながら、仕事を完遂。

「この仕事が大きな成果となり、達成感を味わえました。子どもがいても仕事はできると!」

社内で目立つ成果を上げた坂さんに、2011年、さらに大きな仕事が舞い込むことに。

車体の予算を管理する業務へのステップアップでした。緻密な計算や社内調整が必要で、長時間の集中も求められる業務です。

家庭の事情で夜勤は…スキルを必要とする管理業務に立候補

大きな責任のある仕事だと感じつつも、坂さんは育児と両立可能な数少ない仕事でもあると気づきました。

夫も同じ製作所で交替勤務中だったため、坂さんまで交替勤務になると、夜間に両親が不在となってしまいます。その点、予算管理業務は日中の仕事で出張もありません。

「重責のポジションにも関わらず、育児中の私に『一度やらせてみよう』と配置してくれた上司には感謝しています」

4. 私のリーダーシップ

“お母さんとしての自分”、リーダー職でも武器に

その後、自ら手を挙げ生産現場に戻り、リーダー職に挑戦。部下を30人抱える班長になりました。当時の班長職は日勤中心だったため、夜勤を避けながらキャリアアップできる貴重なタイミングでした。

30人の部下はほぼ男性。新人、年上の熟練工などさまざま。彼らを指導・管理できるか不安でした。

「いざやってみると“お母さん”が活きるなって感じる場面が多かったんです。そして部下たちが成長していくのを見るのが楽しいと感じるように。子育てに似た感覚がありました」

もう一つ昇進すればもっと提案が通りそう

リーダー職に自信をつけた坂さんですが、仕事の中で不便を感じるようにもなりました。

「今のポジションでは、“ここまでしか会社に提案できないんだな”というシーンが何度かありました。下から意見が通らないのなら、上に上がって声をあげる。そのためにもう一つ上の役職へ」

努力を続け、今では部下300人のマネージャーに。外部の講習や試験を受け続け、1年がかりで合格する必要があり、合格率は高くはありません。

“もし受かれば生産現場から女性初の管理職!”と社内で注目を集める中、プレッシャーを乗り越えて合格しました。

5. さらに上へ!もっと改善!

誰もが自分らしくリーダーができる組織に

マネージャーになった坂さんが積極的に取り組んでいるのが、リーダーになることに不安を抱える女性や男性に対して、“ありのままの自分でやれば良い”というメッセージを送り続けることです。

「リーダーと言えば、ガンガン引っ張るタイプの人物像が浮かびがち。だけど、じっくり対話するタイプのリーダーも職場には必要です」

色んなタイプのリーダーが現場にいることで、育児中の女性も気負わずリーダー職に挑戦してほしい。坂さんは部下に対し、そのようなメッセージを送っています。

育児は終了間近。ここからは今まで以上に大きな挑戦をしたい!

下の子の就職も内定が決まり、坂さんの子育ては終わりが見えてきました。妊娠後はキャリアを諦める女性が多かった時代。出産後も仕事での挑戦を続けることを理解し支えてくれた夫は、ひと足先に新天地で新たな業務に挑戦中。

「子どものために鈴鹿の中でいかにやりがいのある業務につくかを今まで考えてきましたが、次の春以降は鈴鹿に限らずもっと思い切った挑戦もできます。

母の役割がひと段落ついたからこそ、もう一度、自分の気持ちに正直に、思う存分仕事に打ち込んでみたいです」

鈴鹿製作所初の女性マネージャー。気力に満ちて働く坂さんの姿は、多くの社員を励まし続けています。

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